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節分 インフェネットエナジー

追儺(ついな)

年毎にやらへど鬼のまうでくる 都は人の住むべかりける (毎年、追いやっても鬼がやって来る都、やはり都は、人々が好んで住んできたところなのだな。) 和歌山県の書家・墨彩画家の福井光 先生に描いていただいた書画。上田秋成の句「追儺」です。

先生の解説にもあるように、大都会の様相を「鬼」にたとえ、毎年「節分」で豆まきをして鬼を追いはらう儀式を行っても、その効果がなく「悪」をもたらす鬼は必ず都会の魅力に惹き付けられて毎年やって来るという意味合いの句です。追儺(ついな)は、大晦日の夜、鬼を追い払い疫病を除くための宮中の儀式のことで、のち社寺や民間に広まって「節分」の行事となったということです。2月3日の「節分」は「二十四節気(にじゅうしせっき)」を元にしています。

現在の新暦では1月1日が元旦ですが、季節の区分けを主眼にした昔の太陽暦 (地球から見た太陽の動きを基に1年を 24に分けた暦)では「節分」が大晦日で「立春」が元旦とされます。年賀状に「迎春」「初春」と書くのもこの 立春のことでした。

また、主に中国で盛大に祝賀される 春節(チュンジエ)は、太陰太陽暦の旧暦正月ですが、この旧正月は、月の動き を基にした太陰暦(陰暦)をもとにしていて、その「元旦」は今年の場合1月23日でしたから「立春」を元旦とする 考え方とも違います。

旧暦と一言で言っても、このように二つの新年があるという妙なことになっています。

それでも、日本の伝統的な風習として、人が年をとって新しい年を迎え、祝う「年とり」の行事は毎年、立春の前の 「節分」の日に行われたのです。

現代では、満令で誕生日が来ると一歳年を取り、個人の誕生日を家族や友人達と祝う誕生パーティーが大切に されますが、昔は数え令で、生まれた瞬間に1歳になり、個人の誕生日を祝うという概念ではなく、次の新年になったら 皆、1歳年を取ります。 つまり年を明けた瞬間、国民全員が1歳年を取るので「節分」に「年とり」を祝っていたのです。

現代 (戦後生まれの私たちには) 日本の行事やしきたりは、暦の上でもよく解らなくなってしまって、今の生活様式に 取り入れることは難しいことだと思います。 「鬼は外、福は内」と豆を撒き、家族で節分を祝い、豆を自分の年齢の数だけ食べるようなこともしなくなりました。 そして、都会の生活の便利さや豊かさを経験してしまうと、もうそこから出ることは非常に難しいものです。

上田秋成のこの句は、いろんな事件や悪事がはびこる都会に住む人々の有様を伝えたかったのだと思いますが、 これは昔も今も変わりません。古から「鬼」や「悪」は何もしらない善良な人や魂を傷つけることでエネルギーを得て 増大してきたのでしょう。 夜空に輝く星は巨大な闇を背にして光り続けていますが、 実は「闇」がこの「星」に無限のエネルギー (Infinite energy) を与えているのかもしれません。 巨大な闇に取り囲まれた私たちの時代も、もしかしたら 幸多き構造なのかもしれません。

いよいよ始まる農事を前に、豊作を祈る「初午」鈴木春信/初午の子供神楽 (2月の最初の午の日、稲荷社の縁日「はつうま」)初午(はつうま)は、その年の豊作祈願が原型で、それに稲荷信仰が結びついた。