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料理人の十職

お盆の藪入り(やぶいり)

8月は夏休み、旧暦のお盆は8月15日、この時期、お盆休みをとられる方も多いことと思います。 8月のお盆は月おくれのお盆になりますが、日本のお盆の行事は、お釈迦さまの弟子の一人、 目連尊者(もくれんそんじゃ) が、母を救う話に由来して、正式名称は「盂蘭盆会(うらぼんえ)」と言うそうです。 「盆と正月」というように、日本人にとって「お盆」は大切な行事ですが、 この「盆と正月」に恒例の「藪入り (やぶいり)」という言葉は今では死語となってしまいました。「藪入り」というのは、江戸時代からの風習で、商家に 住み込みの奉公人たちが正月および盆の16日前後に、主家から休暇をもらって親もとなどに帰ることをいいます。 落語にも「藪入り」があって、三代目(先代)三遊亭金馬の噺で、親子の情愛が色濃く出た人情ものです。その噺は、 前の晩から寝られずに子供の帰りを待つ親の気持ちがにじみ出ていて、他の落語家さんがやれなかったくらい 素晴らしかったといいます。是非この金馬の「藪入り」聴いてみて下さい。海外で聞くとよけい泣ける落語です。

丁稚奉公(でっちぼうこう)

今では想像もつかないと思いますが、丁稚(でっち) や徒弟制度など奉公人が住み込みで働いて、年に2度しか 休みがなかった時代の話です。当時は、仕事を見習うために、職人・商人ともに、十三・四歳頃から師匠や商家を 選んで丁稚奉公に出たものです。

本当に今では昔話でしかないような事ですが、料理屋の世界にも、まだ少しこのような職人の制度が残っています。昔は、子どもを将来、料理職人にしたいと思えば、親父なりその子の親が料理屋に出向いて子どもを住み込みで料理人として仕込んでもらうように頼み、それ以降、子どもは親の代わりに親方の言うことを聞いて、弟子として育てられ、仕込まれました。親方は弟子が一人前の職人になるまで親同然の面倒をみるわけです。

料理人の十職

「下洗い、中洗い、立洗い、立ちまわり、盛りつけ、焼き方、脇鍋、煮方、脇板、板前」これは日本料理の料理職人の 「十職」といって、今でもちゃんとした料理屋では、見習いの小僧として入ったらこのような経験を積みながら料理を 学んでいくものです。 関東の料理屋では武家の体系をとっていて、洗い方、焼き方、煮方、と「方」を使い、一方、商家の流れで生まれた 関西の料理屋では洗い方の代わりに「追い回し」脇板のことを「向板(むこういた)」と呼びます。いずれにしても板場 で頂点に立つのが「板前」板長というわけで「板前さん」といったら一人前の日本料理の職人のことなのです。

料理人の修行はとてもつらい世界のように見えますが、このような伝統のなかで、日本料理の体系が生み出されてきた のは事実です。 戦前、昭和の初めの頃までは板前になる子どもは小学校の4年生、十歳のころから「洗い方」として料理屋に奉公 に出されるのが普通でした。最初の十年くらいは給料なしで、履物はいっさいはかされずに水浸しの洗い場で一年 中裸足で働きました。この働く姿からアヒルとも呼ばれていたようです。 この洗い方にも3段階があるのは、一番初めの下洗いの時期は重要な修行時代で、汚いものを洗うのはもちろん、 使い走りなどをさせられ、あいさつの仕方など行儀も習います。「見習い」という言葉どおり先輩の仕事を見て覚え、 また、先輩が叱られるのを見て、「何をしたら叱られるか」を覚える事も大切なことでした。 こういう基礎的なことは小さな頃に学ばないと年をとった後、一生教えてもらえるものではないのです。 中洗いは下洗いよりやや上級の仕事になり、やがて二、三年してやっと立洗い(たてあらい)になると、上等な魚や 野菜の下ごしらえなど出来るようになって、板場全体の仕事の流れを理解出来るようになっていくのです。 ここまで辛抱して初めて履物を履き、着物を着て角帯を締めることが許されたのです。 そうして立廻りの時期に自分より上の職人の間を立ち回って、食材と道具を覚え、焼く、煮る、蒸す、揚げる、刺身を 引くなどあらゆることを見習い、基礎ができて次に盛りつけ (料理の流儀・型) を学んでいきます。

ここまで洗い方から約九年間、給料はまったくなく、わずかな小遣いと「お仕着せ」といった着物、履物を与えられ、盆、暮れにお手当をもらって「藪入り」をしたのです。

現在では、このような「料理人の十職」の制度は、まったく忘れられてしまったかもしれません。

花板さん

また、洗い方から職場に入って、一生同じ職場で終えるような職人は、その店の仕事以外に知らないので仕事の 幅が狭く、一流の板前として認められることはありません。ですから、各地を回り、有名な職人の下で技術を学び、 その土地それぞれの食材や料理、調理法を覚えるため、それぞれ職人同士で切磋琢磨して技術を磨き合って いったものです。 そうやって全国を回り、その土地土地の習慣や行事食、婚礼、法事、季節の祭事など学び、再び 育ててもらった親方のもとに戻り、またそこから、どこどこの料理屋へ板長として行きなさいと紹介され、板前の職に つく、これを「花板」とよび一流の職人として認められた証でした。

日本の伝統的な料亭には三百年を越える歴史をもった名店がありますが、板前は世襲制ではなく一代限りのものですから、名料亭を継ぐ代々の当主も、料理は腕のいい職人に依存しなければなりません。ですから、職人さんがいなくなったら料亭も日本料理の志もなくなります。

残念ですが、今では徒弟制度のようなものはなくなり、その代わり近代化と貨幣経済は増々進み、今のような経済問題に直面して、より競争社会に拍車をかけ、個人主義が主体となって周りとの関係性はより希薄になってゆく現代では、昔のように時間をかけて文化を守ってゆくなどの余裕がないのが現状です。

更に現在では「板前」という呼び方ですら古くさくて何か封建的なイメージがあるので、なかなか若い人が集まりませんし、職人文化も確実に影が薄くなってしまいました。「調理師」になろうという人はいても「板前」になりたいという人はなかなかいないのです。調理師免許は、調理師学校に一年通えば取ることができますが、料理は一年の学習だけでは作れません。すぐに独立開業をすることを目的とした研修やそういう類いのものと、板前の修業はまったく意味が違います。板前は自分の技術を誇りにしていましたから、今のようなオーナーシェフというものに魅力をもったりしませんでした。料理人は職人である以上、技術は売ってもサービスをしたり、食材を売るなどということを、いさぎよしとはしなかったのです。

長い年月をかけて創られてきた日本の伝統的な職人の世界

世界に誇る日本の伝統文化は、華々しく咲き誇っているように見えるけれども、それを支えていた職人がすっかり姿を消して、確実にその影を薄くしているように思います。これは深刻な問題なのです。実は、プロの職人は「職人的な客」を必要とします。その人たちに認められ、応援されなければやっていけない存在なのです。昔は、伝統文化の周りには「お客というプロの職人(観客)」が存在していたのですが、今ではそこらへんも寂しくなってしまいました。商いをしていて、店側のこういった深刻さは、お客さまの眼には見えないし、とどきにくいことです。今や、料理屋同士の競争も、お客様からは、とりあえず「うまいか、安いか、早いか」ということに巻き込まれてしまっていますし。。。従業員からは「楽か、自由か、稼げるか」が仕事を続ける基準にされてしまっていますから大変です。

とはいえ、こんな私も若い頃は、この飲食の世界に入って、続けていく自信もなく、職人の世界の理不尽な序列やしきたりに不満を抱いて働いていたものです。今の若い世代を責めることはできません。これから苦労を共にしていかなければならないはずなのです。ここは、バンコクという異郷の地ですが、どこであっても、先人達の叡智から学び、同僚達と切磋琢磨して誇りある仕事をし、美しさを感じ、生きる姿勢を見出していきたいものです。

最後に、「職人を育てられなくなったら、天翠はなくなります。」