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茶懐石と会席料理

日本古来の和食の原点

「東都高名会席盡」料理屋 平清(ひらせい)

茶懐石と会席料理

〈皮肉にも身近な料理とは言えなくなった日本料理〉

日本の美しき食事作法、客人を迎える日本人ならではの心。料理人を育ててきた伝統。その源流ともいえる「懐石」

残念ながら、今日、日本に住んでいても茶室で「懐石」をいただく機会に恵まれる人は至極まれなことだと言えます。茶に親しむ人はあっても、正式な懐石に接することは本当に難しいと思われます。せいぜい大人数のお客を招いて催す茶会の「大寄せ」の際に出される「松花堂弁当」に接するぐらいでしょうか。現在「会席」ではなく「懐石」を名乗るお店もありますが、作法通りに順序正しく出す正統なお店などはごく限られています。そもそも「懐石料理」などと、はばかりなく名乗ること自体おかしいのです。茶の湯の席で、茶事として出される料理のことを「懐石」といって「懐石料理」とは言いません。ですから「懐石料理」というのは、茶の湯を離れて、料理だけを提供する料理屋においては「懐石風」という意味で、この「懐石料理」という言葉が現在使われているようです。厳密には「京懐石」「茶懐石」などの言葉すら茶の湯には存在しませんし、京懐石の言葉には定義も何もありません。さらに、フランス懐石やミニ懐石蕎麦懐石などと、料理屋の世界でもてはやされ「懐石」という言葉が一人歩きしてきたのです。ですから現在、一般的に言われる?「懐石料理」は茶事に結びついたものではなく、料理をもてなすだけのときでも使われる、むしろ「会席」に近い宴会料理のことでしょうか。

現代の日本人の多くが、正式な「懐石」を経験することはありませんから、この経験すらできず、日を追うごとに身近でなくなってゆく料理を「日本料理」の源流と考え、次世代に伝えていくことなどは本当に難しいことになってしまいました。ではいったい「日本料理とは何か」をちゃんと定義出来るかというと、それすらも非常に難しいものかと思います。

飽食と言われ、これだけ食べ物に不自由なく便利になった現代の日本において「日本料理」を定義するのが難しいとは、 何とも皮肉な時代です。 時代とともに移りゆく日本料理ではありますが、歴史が私達に伝え残した伝統を考察してみたいと思います。

「七十一番職人歌合」一服一銭 (いつぷくいつせん)「粉葉の御茶、召し候へ」/煎じ物売 (せんじものうり)「おせんじ物おせんじ物」

懐石は茶の前にもてなすお凌ぎ程度の食事

茶の湯の一部である「懐石」は奥深い日本の「もてなしの心」を生み出した本家本元ですが、茶の湯の料理のことを 「懐石」と称されるようになったのは江戸時代以降のことです。 古い茶会記を見ると、食事のことは「振舞(ふるまい)」と称され、時に「仕立」とも「料理」とも書かれ「懐石」ではあり ませんでした。 室町中期には茶事のことを「数寄(すき)」と言って、茶会は「数寄」(茶事)と「振舞」(食事) から成り立っていました。 茶会に招かれると、お菓子を食べて、抹茶を飲むものと思われていますが、正式の茶会 (茶事) では必ず酒と料理がだされ、 その後に濃茶(こいちゃ) と 薄茶(うすちゃ) の饗応があります。

この茶会の食事を「懐石」と言うゆえんというと、仏教の修行に関わります。江戸元禄の頃(1688年〜1703年) 「懐石は禅林にて薬石と云に同じ、温石を懐にして懐中を温むる迄の事なり、禅林の小食、夜食など、薬石共点心共云、 同意なり」と、禅寺の修行僧は、冬の寒さや空腹をしのぐために、温めた石を着物の懐(ふところ) に入れて暖をとり それを温石(おんじゃく) とか 薬石(やくせき)といっていました。その懐(ふところ) に入れた石のことであるこの「懐石」 という言葉に「懐中の温石でお腹を温める程度の軽い食事」という意味が込められているのです。 これが、侘び茶(わびちゃ) にふさわしいものとして茶事の食事を「懐石」と呼ぶようになったのです。ですから「懐石」 の料理は一汁二菜か一汁三菜をもってよしとする、きわめて質素な食事です。豪華絢爛な宴会での「懐石料理」 などは有り得ないのです。本来「懐石」は茶人が自分の手料理でもてなすものですから、料理屋で出す商売の料理 ですらないはずです。

では、おしのぎ程度の軽い食事が、なぜ、茶を飲む前に出されるのか?奈良時代に中国から日本に伝わった茶は、鎌倉時代までは薬として用いられていました。茶にはタンニン・カフェイン・カテキン等の成分が含まれ、解毒や眠気覚まし、疲労回復などの薬理効果があるのですが、刺激が強く、空腹時に飲むと、胃の健康を害するということで、茶を飲む前に食事をとる風習がすでにあったのです。また、客人を招いて、お茶だけで帰すのは失礼ですから、案内状に「お茶をお召し上がりにいらして下さい」と書かれてあっても、そこでは必ずご飯を召し上がっていただくことが定式になっています。安土桃山時代に大成した千利休の「侘び茶(わびちゃ)」の出現は、茶の湯の料理をも新たなスタイルに変えました。酒宴は切り捨てられ、数多くの膳が一度に客前に並べられる食事の形体(本膳)ではなく、客が食べ終わるのを待って、次の料理が運ばれてくるという時間的な順序をもった給仕法が取り入れられたのです。質素な料理ながら、温かいものは温かく、冷たいものは冷たく、出来立ての料理を美味しく賞味してもらおうという「もてなしの心」を大切にした料理となりました。

お茶はもともと禅宗の坊さんの間で発生したものですが、特に千利休の侘び茶は、精神性が重んじられています。何の目的でお茶をするのかという問いに、利休は「侘び茶の求めるものは仏道成就だ」と答えています。「懐石」は贅沢な食道楽を目的としたものではなく、精神的な「和敬清寂(わけいせいじゃく)」や「一期一会(いちごいちえ)」といったことが究極の目的で、禅宗の食礼や食事内容に即したものになっています。

「和敬清寂」とは利休が示した茶道のあり方で「和」とは、人と人とが親しく交際する上で欠かせぬ柔和の心であり和合の和です。「敬」は尊敬の念、どんなに親しい仲であってもお互いを尊び合ってゆくことの大切さを説いています。「清」は清潔の清ですが、単に掃除をしたり身の回りをきれいにするだけでなく、心の清らかさを意味します。「寂」はもの静かなことで煩悩を払い、無念無想になることを茶道に求めたのです。

この茶の湯の精神が、客人を迎える心得として現代の料理屋にも受け継がれています。ですから「懐石」の料理そのものを食事として珍重しているわけではなく、茶道が伝えてきた「もてなしの心」を料理屋を営む上での重要なファクターとして取り入れてきたのです。

本膳料理から現代の会席料理

私ども「天翠」では、季節折々の「会席料理」をご案内していますが、これは、夕食の献立として用意した酒宴向きの 「もてなし料理」です。 この「会席料理」の原型も「懐石」が生まれたのと同じ頃、江戸時代の中期、天下泰平、 饗応の場となった「料理茶屋(料亭)」から生まれました。

信じられないことですが、江戸開府から百年ほど後でも、客室でお客の注文に従って料理を出す料理店は、まったく ありませんでした。かろうじてあったのは、今で言う「めし屋」「けんどん屋」などでした。料理茶屋(料亭)ができる以前、 社交・接待や会食などは、それぞれのお屋敷の中で行われていたのです。そのお屋敷での宴会料理として、鎌倉時代より 武家の儀式用の料理として確立されてきたのが「本膳料理」です。上流社会の供応料理として格式化され、 複数の「膳」に数多くの料理を呈し、献立から食べ方、服装にいたるまで細かい作法がある料理でした。 大変豪華で大仕掛けだったのがこの「本膳料理」の献立で、徳川家光の時代には本膳、二の膳、三の膳、与の膳、 五の膳、六の膳、七の膳まであったとの記録もあります。接待を受ける客側にも食べる順序や食べ方等の細かい規則があり、 肩衣(かたぎぬ)をつけた立派なお殿様達がずらりとならんで食事をし、その作法には流派があったほど厳格な決まり事が ありました。ただし、特徴的なのは、こうした膳の多くが「見る」料理であり、実際に食べる事ができる料理は決して多くは ありませんでした。この「本膳料理」は少なからず儀礼的な物であり、この後に能や狂言などの演技が行われつつ、「後段」 と呼ばれるうどんや素麺といった軽食類や酒肴が出されて、ここで本来の意味での酒宴になったのです。なかには三日間に わたり行われた宴もあったそうですから驚きです。

「百川繁栄図」日本橋浮世小路の料理屋 百川(ももかわ)

この様に格式のある「本膳料理」の様式が、現在でも日本人の食卓の配膳の基本となって「ごはん茶わんが左、汁物が右、おかずは奥」として受け継がれてはいます。この「本膳料理」は、現在の「会席料理」とはちがって、お酒を飲む前に出す食事でした。客人をもてなす時、当時、ご飯をご馳走することと酒をご馳走することは分けられていました。まず、ご飯を召し上がっていただき、食事の膳を引き替えて、酒菜をお出しして酒宴となりました。これを「引きかえ膳」といい、酒盛りが始まると、殿様たちは夜通し飲み続けました。酒を飲むための料理は「酒選献立」といって酒によく合う料理が出されました。さらに夜中になると「夜食膳」といって、うどんなどが用意されていました。

しかし、だんだん忙しい時代になってくると、もてなしとはいえ、夜通し飲んでいる時間はなくなり、先に一杯飲んでから軽くご飯を食べて帰るようになったのです。

こうしてご飯と酒の順序は逆になり宴会料理としての「会席料理」に発展し、これを看板料理にする料理茶屋(料亭)が増えていったのです。

「会席料理」は「本膳料理」の系譜をくみながら「懐石」の影響も受けて発展したものですが、献立の構成の特徴が 「本膳料理」や「懐石」では、ご飯と汁が最初に来るのに対して「会席料理」は、お酒を楽しむのが前提の料理として、 ご飯と汁は食事の締めとして出されます。また、「会席料理」のスタイルは「本膳」や「懐石」のような厳格な作法や 決まり事はありません。(酔っぱらいの席に作法を期待できないでしょうから、宴席にきちんとした作法はないという ことでしょうか?) ただし、酒宴料理である「会席料理」は、お酒を飲まず、食事だけを楽しみたい方には、食事のご飯ものが最後に ならないと出てこないので、違和感を感じてしまうかもしれません。

ですから、「天翠」では、酒宴料理としてのスタイルにこだわらず、料理をより満足して頂ける様に、目的やご予算に 応じたアレンジをしております。例えば八寸を前菜に出したり、煮物椀を吸物代わりにしたり、箸休め や おしのぎとして 飯ものを途中で出したり、季節により鍋物をメインにしたり、飯の代わりに粥、雑炊、茶漬、蒸し飯、そば、うどん、などと 趣向を変えてお出ししています。いずれにしても、事前に客人の目的や嗜好を充分伺ってから仕度する必要があるわけです。

歴史の伝統にもとづく日本料理?

さて、時代とともに移りゆく食生活の中で、海外では日本食ブームが続いています。回転寿司、居酒屋、たこ焼き、カレーライス、ラーメン、日本のデザート、さらには日本のハンバーガーも海外で紹介される現在。当然、外国の方々にも日本食が取り入れられて、俗に「なんちゃって和食」と言われる料理屋さんも現れる時代となりました。しかし、私は旨い物を提供することに何の疑問も持ちませんし、「TVチャンピオン」や「料理の鉄人」が海外でも人気番組であることに異論はありません。それは、日本人の素材や仕事への「こだわり」が、どの国の人から見ても認めることができるからでしょう。

まずは、日本料理の歴史・文化はわからずとも、日本人がこだわってきた新鮮な魚介類や野菜・果物などの素材に対しては、普遍的な価値を見いだしやすいですから、誰からも解りやすく評価されているのだと思います。

ですから、海外では、まず、寿司とか鉄板焼きとか直接素材を味わうことの出来るシンプルな料理が受け入れられてきたのだと思います。では、食習慣のまったくちがう海外で、純粋な日本料理が受けるかと言うと、それはかなり難しいわけです。

実際「天翠」でメディアの取材を受け「お店のお勧めは何ですか」と尋ねられて「季節です」と答え、地味な味付けで 少量を美しい皿に載せ、器までめでるなど、外国人に理解してもらうには相当の時間と説明が必要となり難しいことです。 (日本料理の神髄は、どうしても説明が難しいので、上手にお勧めできないことが残念でなりません。) さらに「会席料理」は西洋料理のように「コース料理」ですが、欧米人に合うかと言うと、そうでもなく、彼らに言わせると 会席料理は「延々とつづくオードブル」にすぎないのです。日本の会席料理は、メインディッシュを中心とする西洋の コース編成にくらべると、メリハリがないように感じられてしまいます。 「料理人の遊び細工は1皿目のオードブルだけにしてほしい。こちとらは腹が減っているのだから . . . ボリュームのある メイン料理が欲しい。」って感じなのだと思います。 他国の料理文化に対しての理解は、私達日本人にとっても曖昧であるのは同じです。ですから、日本の文化そのものを 100%伝え、再現するよりも、地元の料理人達が日本料理をそれなりに取り入れてアレンジしていくのは自然なことでは ないでしょうか。それが日本人の眼に「なんちゃって和食」に見えたとしても、それはフュージョン料理なのだと思います。

日本こそ外国の料理を自分たちの嗜好に合わせて、うまくアレンジしてきた長い歴史があるではありませんか。中国の麺料理をラーメンに、インドカレーがカレーライスに、トンカツ、天ぷら、オムライスなどなど、他国の本家本元からしたら日本こそが「なんちゃって料理」の張本人なわけですから。。。2~3年前に年間2億7600万円の国の予算で「海外日本食認定制度」「海外日本食優良店調査・支援事業」なるものができましたが、この、海外で日本料理を支援し認定するという作業の前に、私達自身「何をもって日本料理というのか」の定義が出来ないのではしかたありません。定義の出来ないものを支援することは出来ないでしょうから、そのことにこそ疑問を覚えます。(戦後65年もたちながら、日本国民とはいったいどんな人間のことなのか、何をもって日本国民と呼ぶのか、日本の憲法のどこを探しても、ただの一行も「国民」の定義がされていないのに、権利、自由、人間の尊厳をうたった日本国憲法。。私たち日本人自身何者なのかわからぬままで、その問題意識のなさに疑問を感じて、あきれてしまう様なことと同じかもしれません。)今、私達日本人が、海外のなんちゃって日本食を排除する資格などどこにあるというのでしょうか。

いずれにしても、日本人が日本の歴史を大事にし、その歴史が私達に伝え残せし、伝統の精神というものを重んじることを 忘れ去ってしまったら、今や日本の家庭の中でも、学校も、企業も、社会も、憲法ですらどこに向かってゆくのか . . . . 疑問を覚えずにはいられません。 この先、実の親の「遺言」すら重んじることの出来ない人間になってしまうようで情けないことです。

どこの国の料理にせよ、客をもてなす料理には、作る側の「心」や「志」が必要なのだと思います。日本料理を供するというからには、日本の心、日本の志が感じられなければ真の日本料理と言えないのだと思うわけです。