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日本料理の魅力「天翠」創業への想い

日本料理の魅力「天翠」創業への想いとは。

それは日本の伝統をになって「日本料理の魅力」を正しく伝えてゆく事です。

長年にわたって形成されてきた日本の伝統。 人から人へ伝えられる伝統文化。 それは永遠の価値を持っている人間の営みであったはずです。 いま、私達の進んでいる現代という「道」を見直し、伝統とは何なのか考えながら活動してゆくことが大切だと考えています。

自然の恵み、天の恵みに感謝する

けわしい山々が平地を分かち、季節の移ろいが寒暖をもたらす日本列島。 日本は「海の幸」「山の幸」「野の幸」に恵まれています。日本人は古来より、この大自然から受ける恵みを大切にし、天の恵みに感謝をし、万物に神が宿ると考え、大自然を、おそれうやまってきたのです。これは、山の神、水の神 などの自然神に対する信仰につながり、大自然=神々という自然信仰の多神教文化が生まれました。(敗戦後の教育により近代科学の発展と無神論の普及によって、日本古来の伝統や神話的世界観は重要さを失って きましたが . . . )現代でも、日本は美食天国であり、東京は世界一の美食都市として世界に認知されています。(バンコクも急激に近代化が進み、生活の多様化とともに、あらゆる食文化が楽しめる都市に発展しています。)

大都市での食生活は、利便性や簡易性が求められ、オートメーション化が進み、ファストフードや保存食、インスタントやレトルト食品など、より産業化され、大量生産、大量消費の時代に向って急激な変化をしてきました。これは、都市文明が、人間の生活をより便利で快適にすることを主眼に置いてきたことによります。この科学の進歩による都市文明は、確かに便利で快適な社会を構築してきましたが、絶えず人間同士の競争が行われ、際限なく製造し、消費される物質中心の社会を生み出したわけです。当然、昔ながらの文化や価値観は失われ、コミュニティーや歴史のもつ意味も大きく変わっています。

そして今日、飲食業を営むものとして、これが、本当に豊かな食生活なのか。「便利な食生活」は決して「豊かな食生活」とは言えないのではないか、と疑問を感じてしまいます。(「文明」と「文化」の違いを感じます。) いずれにしても、日本人が日本の歴史を大切にし、その歴史が私達に伝え残せし、伝統の精神というものを重んじる ことを忘れ去ってしまったら、今や日本の家庭の中でも、学校も、企業も、社会も、どこに向かってゆくのか. . . 疑問を 覚えずにはいられません。この先、実の親の「遺言」すら重んじることの出来ない人間になってしまうようで情けないことです。どこの国の料理にせよ、客をもてなす料理屋には、作る側の「心」や「志」が忘れられてはいけなと思いますし、日本料理を供するというからには、日本の心、日本の志が感じられなければ真の日本料理とは言えないのだと 思うわけです。

日本の食文化

食べる前に「頂きます」と、感謝して食べる日本。それは、古(いにしえ)より、食事をすることや調理すること自体がすでに神事であると認識していた日本人にとって、食事をするたびに手を合わせて、自然の恵みである命を頂くことに感謝の気持ちを捧げてきた「日本文化の心」の現れといえます。

そもそも日本における「料理」は、旬の食材(自然の恵み)をおいしく味わうためにあったので、素材そのものの味を知り、味わうことが尊ばれてきました。故に、調理技術も基本として「いい素材に、味つけは必要なし」とされてきたわけです。これが、日本料理が他のどの国の料理と比較して「味がうすい」と評価されてしまう理由であり、刺身や寿司に代表される、新鮮な素材を生かした料理が生まれた要因であるわけです。日本料理には「味つけ」という言葉はありますが、味を変えるという意味ではないのです。素材の味を引き立て、引き出す目的で調理をしますが、素材そのものの味がしなくなる様な味つけをしないのが原則です。味付けをいっさいしていない、まっ白いご飯を食べて「お米が良いからおいしい」と感じ、お豆腐を食べて「豆の味がしておいしい」といい、魚河岸では「旬の魚は脂がのってうまいよ」といって売り、春野菜の独特の苦みを味わって「春が来たね」と感じる。日本人は「旬の素材の味」に本当にこだわってきたのです。(「旬」とは、その素材が新鮮で美味しく食べられる「季節」を意味します。)ですから、日本料理から季節感をなくすと、ほとんど魅力のない食べ物になってしまいます。

器は料理のきもの

素材の美しい彩りと料理人の仕事を受け止める「器」の世界にも「春・夏・秋・冬」、季節によって「衣替え」のように「器替え」があるのです。他の国の料理には、主に「磁器」が使われていますが、日本では、「陶器」や「磁器」だけでなく「漆器」「檜や杉の木の器」「竹の器」「ガラスの器」「木の葉」や「和紙」をも季節感を演出するために、食器として用います。実に多種多様な器を、大事に使ってきた日本の歴史は、他の国には見られない誇らしい世界です。とにかく、日本ほど、料理に合わせて多彩な器を楽しんできた国はないのですから。(しかし、残念な事に、この日本の「器と料理」については、他の国の方々には充分に理解されているとはいえません。)

それぞれの自然の素材を生かした職人の技によって生み出された日本の器は、それを眺めているだけで命の暖かさを感じます。そして、「作り手」である日本の職人の素晴らしさ(物に命を吹き込む力)に感銘させられるものです。

「作り手」に感謝しながら使う器。「使い手」を思って創られる器。「作り手」と「使い手」が共にひとつになって生み出してきたもの、それが「日本の美」なのです。器と料理の関係は「日本料理」そのものの歴史であるとともに「日本の四季の文化」が生きづいていて、日本の「もてなし」の伝統と密接にかかわっています。料理に合わせて器を決めるだけでなく、器を前にして、料理をあれこれ考える。器と料理が織りなす和の世界。取り合わせの妙。これらは日本料理の楽しみのひとつです。

温故知新の日本料理

日本料理の献立は、本来、旧暦をもとに伝統を重んじてつくられる料理なのです。しかし、ここで古典的な文化を伝承して、継承していこうとすることが、21世紀の現代でどれほど重要なこだと考えられているでしょうか。(ましてや異郷の地バンコクで . . . )そんなことは過去のしきたりで古くさくて意味がないと考える人がたくさんいると思います。故事や故実を知り、それを生かしていく料理人は、文化的な料理人。これに対して古いしきたりよりも、合理性、効率、マーケティングを重視して新しいものに挑戦し、研究をする料理人はいわば文明的といえます。 新しい文化を生むには、昔のことをよく知ることが大切な基盤となりますが、大胆に新しいことに挑戦していく心も必要です。古いことわざに「古くして古きは亡び、新しくて新しきものも亦滅びる、古くして新しきは栄ゆ」という 格言がありますが、このことを言っているのだと思いますし、さらに「温故知新」という言葉。これは、古人の叡智から学び、さらに未来につなげるということなのだと思います。師匠から弟子へと伝えられてきた伝統やしきたりは、今後も伝承を続けなければならないほど重要かどうかの疑問もありますが、殺伐とした現代社会にあっても、日本人の感性である「趣(おもむき)」や「ゆかしさ」は失いたくないものです。

日本の豊かな食文化の精髄とその背景を正しく理解し、伝えてゆくこと。それは、永い歴史の中で脈々と培われてきた日本の「食」の真価を見直すとともに、世界に誇る日本の食文化を、次世代の子供たちに伝えてゆく「食育」の基本としても、大切なことであると考えています。

日本料理「天翠」は、バンコクで現地のスタッフとともに創業して5年。経済状況も激変する中、私自信、常にいい仕事をしようと思っていなければ続けならない。ですから自己向上意欲が、自分の中になくなったら「廃業」すべきだとも考えています。 時代は変り、人も変る。企業も変り、経営課題も変る。さらにここバンコクという地においての課題を解決することもまた仕事でありますから。私たちの人生には、様々な人生、生き様があります。成功、失敗、出世、脱落、新価値、旧態依然、明るさ、暗さ、老若男女、雨期、乾期、四季 …。「志」を創り、「志」を語り、「志」を実現する。 「価値」を考え、「価値」を生み出し、「価値」を共有し、「価値」に涙する。 「自らを律し」「自らを啓発させ」「自らを向上させる」 「部下を育て」「部下を叱り」「部下を励まし」「部下と語る」…。 このような企業のドラマの中に、私たちは存在するのです。 自分たちの日々の活動に、生きがいを感じ、 過去から学び、今を考え、未来を見つめて店舗営業を続けていければと切に思います。